FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

johnnys 小山慶一郎 噂

小山慶一郎は
こちら

彼女について私が知っている二、三の事柄
出演:マリナ・ヴラディ /アニー・デュプレー /ジュリエット・ベルト
ハピネット・ピクチャーズ
発売日 2003-11-27


実に都会的でシャレたタイトルである。村上春樹の短編小説といわれたら、なるほどと思えてしまうくらいだ。詩とリアルが見事に融合した傑作中の傑作、主婦売春の実話(ル・ヌーヴェル・オブセルバトワール誌に報じられた)をもとにしたドキュメンタリータッチの作品である。パリ郊外に住む美しい人妻、夫はガソリンスタンドに勤めているが稼ぎが少ない。彼女は欲しいものがある度、娘を託児所に預けるとカフェに向かった。男を探すために……。
ゴダール得意のカラフルな映像で、彼女の日常が断片的につづられる。繰り返し映し出される工事現場や団地の風景、唐突に差し挟まれる禅問答のような独白、実験的なナレーション、見ていると戸惑わされるところもあるかもしれない。(岡野宏文)

新しい試み・・・ 2006-08-02
何故かドキュメンタリーを見ているようであった。

新しい手法と言っていいのか、今の時代と照らし合わせても凄く新鮮なものに感じられた。

ごく普通のフランスの団地に住む主婦の売春というテーマに時代背景を絡ませながら描いているが、今の時代の援助交際というものに、オーバーラップするのは私だけではないと思う・・・

音楽的な実験や映像・ナレーションの実験 2006-02-13
ゴダールの映画はストーリーがあるようで無いようで

実はあったりするが、

この映画はストーリーが無いようで

あるようで

実は無い系の映画だった記憶がある



(ゴーダル映画に

 ストーリーがどうこうと言うのは

 愚問だとわかってはいるが・・・)



ストーリーよりも

「映画で表現出来る事には限界がある、

 所詮映画は作り物だ」

といった主張を、

音楽的な実験や映像・ナレーションの実験

から感じる



この

「映画で表現出来る事には限界がある、

 所詮映画は作り物だ」

という感覚は

デヴッド・リンチの

「マルホランド・ドライヴ」

の劇場のシーンでも強く感じた



ゴダールが撮っている世界とは 2005-09-20
初めてこの映画を観たときは、私は日本人映画作家溝口健二論の研究をしていた。その時このビデオ(当時は)を観て今までの価値観を揺さぶられた。ゴダールは後期になるほど難解であるが、根底にあるものは”存在”そのものであるし”事物が事物であること”であると思う。たとえばテーブルを知覚するとき、盤の部分の知覚が脚の部分の近くを抹殺しないことが必要であり、そうでなければ対象は崩壊してしまう。人間存在は自分の中に世界を取り込んでいるが、本当は世界と自分は結びついて存在する。それを思い知らされる。ゴダール は物・背景・ストーリーとは直接関係のない運動をすべて存在として1つの画面におさめ、息の長いカメラワークで現実に近い映像を撮っていた。人間(の行動)だけを追うと世界を追っていない。世界(の中の人間)を追わないとリアリズムとはいえないからであった。このDVDはゴダール を知る上で非常に貴重であり、観れば観るほどより多くの”世界”(当事者以外の)もみえてくるのではないかと思う。
やっぱりPrince…ヾ(*^∇^*)ノ小山慶一郎
『小山慶一郎』 ・5月5日 (月) 16:00~20:00「fm osaka」MUSIC COASTER *fm osaka→85.1MHz(FM) ・5月5日 (月) 翌0:00~翌0:30「文化放送」KちゃんNEWS ゲスト→ 加藤成亮 『ゲストは そして 小山慶一郎さんはチョコレートとかエクレア食うそう ...(続きを読む)



スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。